キャリアログインタビューシリーズ あのエンジニアのキャリアがしりたい!

Interview第5回

木下流 人との出会いを自分の変化へと繋げる。
情報を開き、人と交わる。「共有」することで得られる知見

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年齢40

事業開発会社

1998年、同志社大学工学部卒業後、ソフトウェアベンダーに入社。組込システム、Webシステムなどの開発に従事。2005年頃からエクストリームプログラミングを開発現場で実践。2006年、永和システムマネジメントに入社し、アジャイルなソフトウェア開発を実践/推進。2008年にカナダで開催された「Agile2008 Conference」にてアジャイルプラクティスの実践事例を発表。2010年には「価値創造契約」を提唱し、ソフトウェア受託開発の新しい形を示した。2014年、アジャイル事業部事業部長に就任し、現在に至る。ソフトウェアの利用者への《共感》と《アジャイルなプロセス》と《妥協のないエンジニアリング》をもって、お客さまに価値を提供し続けることを目指している。

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市谷

ざっとこれまでの木下さんの歴史を話していただけますか。

木下

1998年、大阪のソフトウェア開発会社に就職して社会人になりました。当時はクラサバのシステムをC++で書いていました。組込みシステムの開発にも関わりました。その後、2005年ごろからアジャイル開発に関わり始め、2006年に永和システムマネジメントに転職しました。

市谷

転職のきっかけは?

木下

2005年に「Java World Day」というイベントに参加して、たまたま平鍋さんの話を聞いたことですね。当時は関西にいたので東京まで日帰りで聞きに行きました。「これはすごい!本格的にXP(当時はアジャイルと言わずにXPと言うことが多かった)をやっている人がいる。そういう人のところで一緒にやったら面白いだろうな」という思いが湧いてきました。

市谷

平鍋さんとの出会いがきっかけで転職を決められたんですか?

木下

当時、XPに取り組み始めたばかりでしたのでアジャイル開発全般に興味はありましたが、平鍋さんの話は圧倒的でしたね。本格的にアジャイル開発をやりたいと思いました。それだけでなく、そのころ東京に転勤になったんですよ。前の会社に8年いて、ちょうど30歳になるタイミングで。「どうせ東京で働くんだったら、自分のキャリアを見直す、というか変えていきたい」と思い、転職しようという決意をしました。

市谷

条件が重なったんですね。入社後はどんなお仕事をされていたんですか?

木下

永和システムマネジメントへ入ってからも2~3年は前の会社と同じように、プロジェクトリーダーをやりつつ自分でもプログラムを書いていました。私が入社したのと同じくらいのタイミングで、うちの会社でRubyを使って仕事をしようという機運が盛り上がりはじめました。といっても、その頃はRubyの仕事なんてそうそうなかったですから、自分たちで仕事を取ってこないといけないということになり、プロジェクトリーダーの仕事に加えて、お客さまへの提案といった営業に近い仕事から、複数のプロジェクトにまたがって色々見ていくとか、マネージャーに近い仕事をすることも徐々に増えてきました。

市谷

そこから、また大きな転機がありましたよね。

木下

2011年に当時の事業部(まだアジャイル事業部ではなかった)の中にアジャイルグループという組織ができ、そこのグループ長になりました。

市谷

プログラマーをやりつつ、同時にマネージャーや提案もして、グループ長という組織を担う役割になっていったわけですが、そこに抵抗感とか迷いとかはなかったんですか?

木下

結構ありましたね。現場の仕事もやりたかったですしね。

市谷

最終的に引き受けたのはどういう決意だったんですか?

木下

「決意」という感じではなく、当時は仕事に追われて夢中でやっていた感じです。今はお客さまから「こういう仕事をお願いします」と依頼をいただけることが多いですが、当時は「Rubyで仕事をしたい、どうやって仕事を取っていくか」をみんなで考えて「こんなデモを作って持っていこう」とか「こんな提案していこうか」とか、パンフレットやポスターを作ったりとか、営業活動も行っていました。営業なんてやったことなかったので、右も左も分からないまま必死でした。
また、当時LLWG (Lightwaight Language Working Group) というワーキンググループを社内で草の根的にやっていたのですが、そのなかで自然と役割が決まっていったという感じだったと思います。

市谷

グループ長になって、その後さらに大きな転機がありましたよね?

木下

2014年のアジャイル事業部発足とともに事業部長になりました。

市谷

グループ長になった時には「現場の仕事がやりたかった」という思いがありつつも引き受けた。事業部長に就任する時にはそういう思いはありましたか?

木下

最初に話をもらった時は、責任がかなりあるなあと思いましたが、前向きでしたね。

市谷

やるしかないみたいな?

木下

事業部の名前もまだ正式に決まっていない状態で「アジャイル事業部を作りたい」という話をいただいて、永和システムマネジメントというXPやアジャイルを黎明期から取り組んで来た会社で、アジャイルという名前がついた事業部ができる。こんな素敵なことはないじゃないですか。そこを任せてもらえるのを光栄に思いました。

市谷

プレッシャーはなかったんですか?

木下

役員のひとりから「好きにやっていいよ」と言われたので気持ちは楽になりました。得意な技術に思いっきり寄せるとか、私自身がもっとこうセルフィッシュ(わがまま)というかぐいぐい引っ張っていくやり方でやってみたらいいんじゃないかとか、経営陣からはいろいろとアドバイスをもらいました。それと、それはちょっと無理ですと言ったんですが「平鍋さんみたいになってほしい」とも。

市谷

お!社長ですか。

木下

経営者になるという話ではなく、エバンジェリスト的というか、外向きな活動もしつつ、社内にもその力をうまく使って影響力を発揮してほしいという意味だと理解しています。グループ長の時は内向きの活動が多かったんですが、私自身10年以上、XPやアジャイルのコミュニティに顔を出していることもあり、コミュニティとの繋がりを事業部活動の中心に据えようと決めました。
こういったアドバイスをもらって吹っ切れたというか「やりたいことを思い切りやっていいんだな」と思いました。

市谷

けっこう変遷がありますね。最初は大阪でクラサバプログラマーをやっていて、平鍋さんという人に出会い、東京に出て来て永和システムマネジメントに入り、リーダーをやりつつ営業やマネジメントをやったりして新しいビジネスを作り、グループ長になり、事業部長。ここまですごい物語があるじゃないですか。ふりかえってご自身はどう思います。

木下

こうなると思ってなかったですね。普通のエンジニアをやって普通のプロジェクトリーダーとして一生を終えると思っていました。

市谷

プログラマーじゃなく、プロジェクトリーダーとして?

木下

プロジェクトリーダーは性に合っていると思っています。岡島さんの「現場リーダー」という言葉がすごく好きなんです。

市谷

そういう生き方のチャンスもあったと思うんですが、いま「長」という道を歩いているのはどうですか?

木下

こうなると思ってなかったんですけれど、結果的にはやりたいこともやれてるし、よかったかなあと思いますね。平鍋さんがよくセレンディピティの話をするんですが、偶然が重なっているところもあるかなと。「事業部長になってやろう」と思っていたわけではないし。私の場合は、立場とか環境とか、与えられたものをちゃんと受け入れて消化して、それに対して精一杯やって来たことが今につながっているんだと思います。

オフィスを出て、先輩の話を聞きに行こう。 〜キャリアログ・ミートアップ〜

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